感じるままに…

日々の生活で感じたり学んだりしたことを思いつくままに

「愛」は動詞じゃない

「愛」と聞くと、きっと「私があなたを愛す」とか「愛してる」と言う、動詞が浮かぶのではないでしょうか?


でも、本当は「愛」は名詞なんだと僕は思います。


動詞とか名詞とか書くとなんだか無機的に感じますが、


「愛」は、行動ではなくて存在するもの、ワンネス的なものだったり、全てなんだと思うわけです。


「愛」が動詞になると、反対の「愛していない」が出てきます。


「愛していない」が出てくると、極端に言うと争いが起こるわけです。


それは「愛」ではないのです。


ここから、訳わからなくなるかもですが、


でも、実は「愛してる」も「愛していない」も「平和」も「争い」も、全ては愛の中で起こっていることなのですね。


「愛」があれば、争いが起こらないわけではなく、


「愛」があれば、平和になるわけでもなく、


そこにただ在るのが「愛」なんです。


ポジティブが良い、ネガティブが悪いもない。


どちらも「愛」なんです。


ワクワクが良いだけだと、半分正解、半分違う感じがずっとしていたのは、これなんだなと思いした。


ネガティブも、愛の現れなんだと。そう思うのです。


宇宙人アミはこう言ってます。


「愛を手に入れるには、まず、愛が感情ではなく存在であると言うことを知ることだ。愛とは何者かであり、実在している、生きている精神である」


生きている精神と言うところが僕はあまりピンとこないけど、


存在なんだと言うことなのかなと解釈しました。


そこに在るのが「愛」。


そう言うことを書くと、必ず「じゃあ、いじめられてるのも愛なのか」とか「殺されてるのも愛なのか」って言う人が出てくるけど、


それは、動詞で考えるから、この世界の感情で考えるから、否定が出てくる。


否定が出てくるのも「愛」の中で起こってるだけなんですが、


それも「愛」です。


「かわいそう」と思うことを否定しません。


僕もそう言う話を聞くと怒りが出てくるし、悲しくもなる。


うまく表現できなくて、なんだかもどかしいけどね。


「愛」と表現すると、どうしても動詞の「愛」がでてくるから、感情が起こってくるけど、


存在としての「愛」で表現すると、全てが「愛」と言う感覚を受け取りやすくなります。


感じでみてください。


最後まで読んで頂きありがとうございました。